山バッジ

蔵王・刈田嶺神社で購入した山バッジ

今回の東北の旅の最終日に訪れた蔵王「刈田嶺神社奥宮」の社務所で山バッジを買い求めました。
今まで多くの山バッジを入手してきましたが、神社でいただいたのは初めてのことです。
刈田岳と銘打ったバッジがあれば言うことなかったのですが、それは流石にありませんでした。
熊野岳が蔵王連峰の最高峰で、刈田岳は言わば主峰の弟分ですから…。

社務所には三種類の山バッジが置いてありましたが、最も気に入ったデザインの物を一点選びました。

蔵王の峰々と御釜、そして雪の結晶がデザインされ、山名も「ZAO」と英表記になっています。
標高1,841mは最高峰熊野岳のものです

蔵王への登山活動の記録は後日掲載させていただきます。

P.S.(8月11日山の日に加筆)
初めて蔵王に登ったのは昭和54年5月20日。山形大学W.V.部の新人錬成合宿でした。前日に大学の部室前を徒歩で出発。宮城県境の笹谷峠で幕営。
翌日、雁戸山から八方平、自然園を経由し熊野岳、地蔵岳を踏んで宝沢に下山しています。

2回目は昭和55年4月20日の新入生歓迎山行。蔵王に所在する山形大学山寮に前日(19日)泊まり(もっともこれがメイン)、翌日、地蔵岳、熊野岳に登っています。

3回目は昭和55年4月26日。旧人錬成合宿と称し大学を出発、宝沢までバスに乗り、ドッコ沼を経由して熊野岳の避難小屋で一泊(夜になってから大荒れの天候となり、山行ノートには「夜間にキジ打ちに避難小屋から出ると暴風のため目出帽を飛ばされた。」と記載しています。)。
翌日は笹谷峠まで縦走して幕営。最終日はさらに北へ縦走し二口峠から仙山線の山寺駅に下山しています。

4回目は昭和55年6月1日。夏合宿前の第二次錬成合宿でした。前日(5月31日)、部室から徒歩で笹谷峠に登って幕営。翌日、雁戸山から南へ縦走し、熊野岳を踏んで宝沢に下山しています。

5回目は昭和57年9月23日。「卒業までに蔵王に登りたい。」というクラスメイトのS君を案内して坊平から観音滝を経て地蔵岳に登っています。この時はガスで何も見えず、S君はがっかりしていたのを記憶しています。

以上となります。やはり学生時代に刈田岳に登ったことはなく、今回のちょこっとハイキングが初めての刈田岳登頂でした。大学時代はもっぱら山形県側で登山活動していたことがわかります。

次回蔵王に登る機会があったら「熊野岳」と書かれた山バッジを入手したいと思っています。

若い頃から山が好きで、いろいろなところに出掛けてきましたが、社会人になってからはかなりのブランクがありました。 それでも40代過ぎから自転車を始め、組み立てまで自分でこなすほどののめりこみようでしたが、現在は再び山へと回帰しています。 ただ、キャンプも好きで細君と年に数回関東甲信越のキャンプ場を訪れています。 もう還暦も過ぎたので「今のうちに行きたいところへ行っておこう」と自分に言い聞かせているのですが、ここ数年はコロナ禍で山もキャンプも自粛ムードでした。 新しいブログを出発点に野外活動を一層充実させていきたいと思っています。

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