鹿嶺高原キャンプ旅で購入した山バッジ

海の日の三連休を利用して出かけた信州伊那の「鹿嶺高原キャンプ場」キャンプ旅の最終日に「道の駅・南アルプスむら長谷」で山バッジを二個買い求めました。
下の写真のバッジがそれです。

一つ目は「甲斐駒ヶ岳」のもの。
駒ヶ岳のビラミタルな山容とピッケル、そしてコマクサが描かれています。
興味深いのは、流石は信州伊那所在の道の駅で扱われている山バッジだけあり、何とも「甲斐」の二文字が小さい。伊那の駒ヶ岳なんだと主張しているかのようです。
伊那地方の人々は東に見える駒ヶ岳(甲斐駒ヶ岳)を東駒ケ岳と呼び、西に見える駒ヶ岳(木曽駒ケ岳)を西駒ケ岳と呼んでいるそうです。
昨年、クラッシックルートである桂小場から木曽駒ケ岳を目指した際に、宿泊した西駒山荘で「なぜ西駒山荘なんですか?」という愚門を管理人氏にぶつけたところ、そうした回答が得られたわけです。

さて甲斐駒ヶ岳に登ったのは、昭和54年夏の大学ワンダーフォーゲル部の夏合宿でした。
7月16日から8月3日までの18泊19日の日程で南アルプス全山縦走したのですが、合宿最終盤の7月30日に仙丈小屋(現在は幕営不可)を未明に出発して北沢長衛小屋の天場にキスリングをデポ。その後、駒津峰経由で甲斐駒ヶ岳をピストンしています。
天候に恵まれたこの日は山頂からは360度の展望が開け、当時の山行ノートには、とりわけ「八ヶ岳の眺望が印象的だった」と記載しています。
44年前の一回だけの登頂です。

二つ目は「仙丈ケ岳」のもの。
仙丈のゆったりとした山容とランプとクロユリが描かれ、周囲にザイルがめぐらされています。
仙丈ケ岳は南アルプスの女王と形容され、高山植物の宝庫であることでも知られています。

甲斐駒同様、仙丈にも一度しか登ったことがありません。
夏合宿で甲斐駒に登った前日(7月29日)に両俣小屋を出発、野呂川越から仙塩尾根を縦走して仙丈ケ岳に登っています。
記録によると仙丈ケ岳のピークの手前で雨に降られ、山頂では雨は上がったもののガスに巻かれて「だいぶ日和ったが、あきらめて仙丈小屋に下った。水場は近いものの天場が小さい。」と山行ノートに記載しています。(※「日和った」→「だらだらと休んだ」という意味(^^♪)

今や両山とも北沢峠からピストンする登山者がほとんどかと…。
来年あたり機会を作って仙丈小屋辺りに宿泊して高山植物の写真撮影をしてみたいと考えています。

今回、「道の駅・南アルプスむら長谷」に立ち寄るまでは、旧長谷村が甲斐駒、仙丈の登山口に位置しているということを全く意識しておらず、道の駅で山バッジが売られているのを見て初めて「ああ、そうか…」と思ったわけです。

今回のキャンプ旅で思いがけずに、まだ多感な10代の頃に登った甲斐駒ヶ岳と仙丈ケ岳の山バッジが入手出来、この二つの山との不思議な縁のようなものを自ずと感じました。
何とか再訪する段取りを付けないといけませんね。

投稿者:

tatsunoko

若い頃から山が好きで、いろいろなところに出掛けてきましたが、社会人になってからはかなりのブランクがありました。 それでも40代過ぎから自転車を始め、組み立てまで自分でこなすほどののめりこみようでしたが、現在は再び山へと回帰しています。 ただ、キャンプも好きで細君と年に数回関東甲信越のキャンプ場を訪れています。 もう還暦も過ぎたので「今のうちに行きたいところへ行っておこう」と自分に言い聞かせているのですが、ここ数年はコロナ禍で山もキャンプも自粛ムードでした。 新しいブログを出発点に野外活動を一層充実させていきたいと思っています。

「鹿嶺高原キャンプ旅で購入した山バッジ」への2件のフィードバック

  1. 今回の山バッジも素敵なデザインですね 。また,バッジを通して昔を思い出す。まるでタイムトラベルですね!

    1. ほんと会長のおっしゃるとおりです。
      私の山バッジのコレクションルールは
      〇登ったことがある山
      〇泊まったことや立ち寄ったことがある山小屋
      に限定しています。
      そうすると自ずと遠い昔に登った山のバッジを入手して、当時の記録を紐解くという楽しみができます。まさにタイムトラベルでしょうか…(^^♪。

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