宝篋山と小田城跡を歩く

今日(6月18日)は細君が東京で友人達とランチ会をするというので車で彼女を駅へ送り届けた後、久しぶりに(前回の記録はこちら。)宝篋山に登るべく小田駐車場を目指します。

同所には10時近くに到着しました。こちらの駐車場は初めての利用でしたが、簡易トイレもある広々としたもので100台は停められそうです。

今日はサロモンのローカットシューズですので、ザックを背負って即出発です。
小田の街中から仰いだ宝篋山です。

小田休憩所の駐車場はやはりほぼ満車で、早朝登山で既に下山してきた人達が帰りの準備をしているところです。結果として駐車場のチョイスは正解でした。

今日の登りは沢沿いの極楽寺コースにします。気温高めですから少しでも涼を求めようという算段です。

一番最初に目にした花はこちらです。「オカトラノオ」

「地蔵菩薩立像」です。鎌倉の昔には、辺りは「極楽寺」の大伽藍が広がっていたと考えられているそうです。中世史のロマンですね。

「ミヤマハコベ」でしょうか・・・。

「ムラサキツユクサ」でしょうか・・・。ことごとく自信なし(‘_’)。

「ウマノアシガタ」

「ドクダミ」

沢を何度か渡ります。水は奇麗です。

朝ご飯は細君と一緒に食べて来たのですが、早くも小腹がすきました。

この大きな口のような岩は何度見ても印象的です。

先行パーティーに追いつきます。 今日は土曜日なのでハイカーも多いですね。

山頂の一角に到着です。もう一息。

山頂の宝篋印塔です。今まで気が付かなかったんですが、欠けてますね・・・。

霞ケ浦もぼんやり見えている程度です。

筑波山もうっすら見えていますが、写真ではわかりませんね。山頂も風がなくて蒸し暑い。

ノアザミにハチ君が来ています。

こちらも「ウマノアシガタ」ですね。

下りは小田城コースをとりました。
ほとんど駆け下ったので汗びっしょりです。
あっという間にお地蔵さんまで下りてきました。前回通った時にはお地蔵さん達の前掛けが新しくなっていましたが、早くも色落ちしてしまってますね。
トレランの男性が追い越していきます。

この花の名前分かる方いらっしゃいますか・・・。調査の結果、どうやら「ムラサキカタバミ」のようです。

小田休憩所は素通りしてランチ目当ての「TAMARIBAR」に向かいます。

こちらです。土日祝日のみの営業です。

シンプルなメニューです。「玉子かけご飯定食」をオーダーしました。

お茶とサービスのパンです。自宅で食べましたが美味しかった。

大変ボリュームのある定食で全部は食べられませんでした。ごめんなさい。

食後に車に戻りシャツを着替えてカメラだけ持って国の指定史跡「小田城跡」へ行ってみました。
立派な「案内所」を見学後本丸跡に向かいます。
こちらの石塔は小田城跡の発掘調査の際に本丸跡にあったものを集めたものだそうです。

こちらが小田城跡です。宝篋山に抱かれた平城という感じでしょうか。

宝篋山を眺めるベストポジションでもありました。

40代の頃ロードバイクでリンリンロードを何度も走りましたが、当時は小田城の発掘調査で中に入ることはできませんでした。こんな立派な遺構は、つくば市民のみならず茨城県民にとっても貴重な歴史遺産だと思います。

今回はわずか2時間強の山歩きと城跡散歩でしたが、なかなか貴重な体験ができました(^^)/。

※ ヤマレコの記録はこちら

投稿者:

tatsunoko

若い頃から山が好きで、いろいろなところに出掛けてきましたが、社会人になってからはかなりのブランクがありました。 それでも40代過ぎから自転車を始め、組み立てまで自分でこなすほどののめりこみようでしたが、現在は再び山へと回帰しています。 ただ、キャンプも好きで細君と年に数回関東甲信越のキャンプ場を訪れています。 もう還暦も過ぎたので「今のうちに行きたいところへ行っておこう」と自分に言い聞かせているのですが、ここ数年はコロナ禍で山もキャンプも自粛ムードでした。 新しいブログを出発点に野外活動を一層充実させていきたいと思っています。

「宝篋山と小田城跡を歩く」への2件のフィードバック

  1. 宝篋山、通称小田山 (おだやま)は 、今や人気のトレッキングコースですね。本当に素晴しい!「南北朝時代、小田城は南朝方の北畠親房が神皇正統記を著したところ」と高校の 日本史の授業で習いました。

    1. コメントありがとうございます。常陸の国にはまたまた多くの歴史遺構がありますね…。垂直移動が年齢的に厳しくなったら水平移動の旅をしようかと思っています

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