42年ぶりに雲取山に登る(R5.4.28~4.29)②

二日目は同宿の成田から来られている男性とほぼ同時に目を覚ましました。
午前4時半位だったでしょうか。

トイレを済ませて朝食を準備します。
辺りはすっかり明るくなりつつあります。
小屋前からの富士山です。

ちょっとアップしてみます。

こちらも絵になります。

ズームすると…。

ちょっと焼けてきましたかね…。

イイ感じです。

サブザックに必要品を入れて5時42分に雲取山ピストンに出発します。

水場からは明るいトラバース道を進みます。

鴨沢への下段のまき道の分岐です。

ブナ坂です。朝の清々しい空気感です。

迷走ルートの解説板もこちらで最後です。

物語はこれにて「完」。

飛龍山へと続く稜線が素晴らしい。

鹿君が登山道を横断していきました。

ヘリポート到着です。

流石にここで天張る御仁はいないでしょう。

最高の雰囲気です。

南アルプス南部の荒川、赤石、聖のジャイアント達。

右に目を転じて白いピークは塩見岳でしょうか…。

富士山も素晴らしい。

実際には結構距離があります。

富田新道の分岐です。日原に下る人はいるんでしょうか…。

違ったアングルの富士山。

小雲取山で再び富田新道を分けます。

素晴らしきかな富士山。相模湾側は雲海が出ているようです。

避難小屋は近い。

山梨側山頂です。

山梨県の道標があります。

少々進むと立派な石柱が…。山頂は東京都と埼玉県で二分している模様です。

原三角測点です。

今日は山頂にいた方にお願いしてシャッターを切ってもらいました。

右から甲斐駒ヶ岳、仙丈ケ岳、北岳です。その手前には鳳凰三山が…地蔵のオベリスクがわかりますね。

白峰三山よりも南部の山々の方が見易い位置関係にあります。

飛龍山が存在感を発揮しています。

南アルプス南部のジャイアント達をズーム。

仙丈ケ岳、北岳をズーム。

避難小屋も建て替わったのは知っていましたが、ここまで立派な施設とは思いませんでした。

内部の清掃も行き届いています。
コロナ禍の期間中は使用自粛の呼びかけがあったようです。

別棟になっているトイレも大変清潔に管理されていました。どなたがメンテナンスされているんでしょうか?。

さて七ツ石小屋へ戻りましょう。
同宿の成田から来られている常連の男性と山頂直下ですれ違いました。
彼は「雲取山から見る富士山が好きなんです。」と言ってました。

次回は秋にでも来てみたいと思います。

奥秩父連山です。

金峰山ですね。

甲武信ヶ岳です。

石尾根からの富士山はこれで見納めです。

小屋に戻ると時刻は8時半。当然ですがテントは一張もありません。

支配人がタンポポの花びらだらけになっています。

支配人を中心にまったりムードです。

さて下山することとします。
9時20分に小屋を出ました。
ブナ坂分岐通過。

マムシ岩通過。

富士山も見納めです。

新緑の中を下ります。

体が染まりそう(^^♪。

最高の空気感です。

小袖駐車場まで下りてきました。

鴨沢バス停には11時10分に到着。
鴨沢発のバスは12時半までないので、こちらのお店でのんびりしようかと立ち寄ったところ、まさかのclose!。

もう一軒のお店もまさかのお休み…。
この時点で留浦まで歩けば、11時20分、40分のバスがあることに全く気付いてなく、こちらのタクシーを依頼することにしました。
「15分ほど待ってください。」と言われたので、後から下りてきた二人の男性登山者に声を掛けて相乗りで奥多摩駅まで出ることにします。
結果としてタクシー料金が3,000円、割り勘で一人1,000円とバスよりちょっと割高でしたが結果オーライで、同乗のお二人にも喜んいただけました。

奥多摩駅には12時20分前に到着。
12時40分発の青梅行きに乗車して、その後は順調に帰宅することができました。

これにて今回の山行も無事に終了です。

最後に過去の雲取山山行の概略を掲載しておきたいと思います。

①昭和50年5月3日~5月4日 長沢背稜から鴨沢(酉谷山山頂下で幕営)
②昭和50年9月14日~15日 巳ノ戸谷林道(現在は廃道)から石尾根・飛龍山・サオラ峠を経て丹波(町営奥多摩小屋で幕営)
③昭和51年5月2日~5月3日 鴨沢から三峰神社経て大輪(町営奥多摩小屋で幕営)
④昭和52年3月27日~4月2日 奥秩父全山縦走 増富から奥多摩駅(合宿6日目に山頂を踏む。前泊は将監小屋、後泊は町営奥多摩小屋で幕営)
⑤昭和54年3月24日~3月30日 奥秩父全山縦走 瑞牆山荘から奥多摩駅(合宿6日目に山頂を踏む。前泊は将監小屋、後泊は鷹巣避難小屋で幕営)
⑥昭和56年10月31日~11月1日 三条の湯から鴨沢(三条の湯に宿泊)

したがって、雲取山頂を踏んだのは7回目となります。
今回は天気良し、小屋良し、眺望良し、体調良しと四拍子揃った山行でした。
私の天泊山行の原点はやはりこの山域にあると言えます。
是非機会を作って雲取山を再訪したいと思います。

※ヤマレコの記録

42年ぶりに雲取山に登る(R5.4.28~4.29)①

最後に雲取山に登ったのは42年前の大学3年の秋でした。
当時私は東北地方の大学に在学していましたが、雲取山に登るためだけにわざわざ帰省したのを覚えています。
コースは三条の湯に泊まって翌日山頂を踏んで鴨沢に下山するというものでした。
三条の湯が大変快適な小屋だったことだけを記憶しています。

今回、雲取山に行こうと思ったのは「七ツ石小屋」に泊まるためです。
一昨年位から同小屋のTwitterをフォローするようになり、コロナ禍においては応援グッズをネットで購入したりしていたので、一度泊まりに行かなければと思っていたわけです。
コースは鴨沢コースをチョイスし、初日に調子が良ければ小屋にザックをデポしてサブザックで雲取山をピストンするというものです。まあ、そこは体調を見つつ柔軟に対応しようと思っていました。

第一日は地元最寄り駅まで細君に送ってもらい始発電車に乗車して武蔵野線周りで西国分寺に出て、立川で青梅行きに乗り換えました。
ここでアクシデント発生です。なんと青梅駅で接続するはずの奥多摩行きが早朝の安全点検の影響で10分ほど遅れるというのです。
たかが10分の遅延ですが、奥多摩駅で乗るはずの西東京バス「鴨沢西行き」が8時55分発なので間に合いません。
自ずと次の9時半発の「留浦(とづら)行き」になってしまいます。まあジタバタしても仕方ありません。
遅れてきた奥多摩行きに乗り込んで途中の停車駅に関する思い出を思い起こしつつ奥多摩駅へと向かいました。
何せ父方の祖父が「川井駅」近くの出身、同じく祖母は羽村市の出身であることに加えて山好きの父に幼稚園の頃から沿線の御岳山や大岳山、鳩ノ巣渓谷等に良く連れてこられていたので…。
もちろん高校山岳部でも軍畑、川井、奥多摩等多くの駅を利用していました。

さて、奥多摩駅に着いてみると駅のアナウンスが「鴨沢西行きのバスをご利用の方はお急ぎください。」と伝えています。
そうです。バスの発車時間を遅延した青梅線の到着時間に合わせてくれているようです。
バス停に向かうと私の一人前で一旦乗車打ち切りとなり、停まっていたバスは先発しました。ただ、先発バスの後方に停車していバスが増発便となり、私はこれに乗車して鴨沢まで座っていくことができました。
西東京バスさんに感謝です。

鴨沢では10人程度が下車したでしょうか…。先発したバスに乗車していた皆さんが出発準備中です。
私もベンチにザックを置いてスポーツドリンクの粉末を溶かし、トイレを済ませて軽く準備体操をします。
なんだかんだてバス停を出発したのは9時55分でした。
ベンチにはソロの女性が残っているだけとなりました。

バス停右の階段を上って上の車道に出るのがルート?です。

村営駐車場への案内が出ています。
私が学生の頃には小袖のパーキングはもちろんなかったと思います。

車道と別れて簡易舗装の道へと入ります。
天気は快晴ですが暑くはなく、爽やかな感じです。

私は吉川英治の「平将門」を愛読していますが、この「迷走ルート」には大変興味を惹かれました。
茨城県坂東市に所在の平将門終焉の地とされる「国王神社」にも一昨年初めて参拝しました。

簡易舗装もなかなかの傾斜があります。

小袖駐車場を通過していよいよ雲取山登山道入り口です。
42年前はもちろん舗装林道はなかったと思います。

小袖の廃屋近くはトラバース道の右下が急斜面となっており、滑落事故が何件か起きているための注意喚起です。

こんな祠がありました。

先行の若人4人パーティー。青梅線の車中から一緒でした。足も揃っていて、彼らが休憩を終えると私が追い付くという感じで七ツ石小屋まで追従する感じでした。雲取山荘泊まりですかね…。

新緑が素晴らしい登山道。

堂所は馴染みのある地名です。ただ、学生の頃の私はずっと「どうしょ」だと思っていました。正解は…

こちらです。

マムシ岩脇にはミツバツツジが…。

新緑に映えていますね。

知人に教示してもらいました。「キランソウ」です。別名「ジゴクノカマノフタ」だそうです(>_<)。
綺麗な紫の上品な花です。

ブナ坂分岐です。もうひと頑張りです。

「ヤブヘビイチゴ」です。

七ツ石小屋到着です。42年前にここを通ったかどうか定かでありません。当時の山行記録ノートを見ても特に小屋の記載がないので、ひょっとするとブナ坂から小屋を経由せずに直接鴨沢ルートを辿って下山した可能性が強いかもしれません。
時刻は12時27分です。バス停から2時間32分でした。

「16時には下山若しくは泊地着」と山の原則が目を引きます。

小屋番の女性(「タミコさん」とおっしゃります。漢字説明は不明なのでカタカナで書かせていただきました。)に受付をしてもらって宿泊料4,000円を支払います。
「雲取まで行って来ようかと思ってるんです。」と言うと「ギリギリですよね。千本ツツジ辺りを回ってくればいいんじゃないですか…」とのアドバイスをいただき即決。
サブザックに雨衣とヘッデンと行動食と飲料水を入れて七ツ石山と千本ツツジのハイキングに出掛けます。
小屋から少々行くと水場が…。

ブナ坂への道を分けて七ツ石山へ向かいます。こちらは千本ツツジの分岐に立つ道標。立派に見えますが結構グラグラでした。

この解説を見て「七ツ石山」の山名由来にも納得ですね。

七ツ石神社の社殿は数年前に地元丹波山村の方々の尽力で再建されました。

脇から見ると社殿の背後に大岩があるのが良くわかります。

山名の由来となった七ツ石です。

山頂到着です。最後に登ったのは昭和54年3月の高校山岳部春合宿の奥秩父全山縦走の6日目です。
私は引率OBとして参加しています。記録を見ると合宿6日目は4時50分に将監小屋の天場を出て鷹巣避難小屋に着いたのが17時25分となっています。若いって素晴らしいですね…。鷹巣避難小屋は先代の避難小屋ですが合宿ですから、小屋は使用せずに避難小屋前に天張ったと記憶しています。

山頂から望む雲取山。

ズームアップすると避難小屋が見えています。

石尾根縦走路…いい響きだなあ。

七ツ石山頂から望む富士山。ちょっと霞がかかっていますかね。手前のビラミタルな山は雁ヶ腹摺山です。

山頂でくつろぐ人々。

さて、次は千本ツツジへ向かいます。

七ツ石小屋分岐を直進します。

久々に歩く石尾根縦走路。抜群の雰囲気です。

富士山をお供に…。怒られるか(‘_’)。

谷間から新緑が上がってきています。

峰谷への分岐から千本ツツジへ登ります。

大寺山の仏舎利塔が見えます。

千本ツツジの山頂はここで良いのでしょうか…。

稜線からは七ツ石小屋が見えます。

こちらの縦走路はまき道よりも数段素晴らしい。

山桜の咲き残りが…。

良い雰囲気です。

七ツ石小屋への分岐です。

水場で木橋を渡らずに鋭角に折り返して小屋に向かいます。

小屋に戻りました。
私の寝床は一番奥です。

受付時にタミコさんに「今日の宿泊者は何人ですか」と尋ねると二人ということだったのですが、小屋に戻ると「二人増えました。」とのこと。
急に七ツ石小屋泊まりとなった事情はよく分かりませんが、夕食時のタミコさんと当該お二人とのやり取りを聞くと「えっ!」と言う感じで驚きを禁じ得ませんでした。

まだ4時前ですが、早めの夕食準備です。
この日のために購入したトレック1400が活躍中です。アルファ米を炊いて蒸らしています。
おっとビールをいただいてますね☺。

アマノフーズのフリーズドライカレーです。

食後も外はまだ昼間です。なんと贅沢な時間でしょう。
タミコさんは指導標を作成中です。
山の相談所の看板に何気なく立てかかっているウッドシャフトのピッケルに驚きました。

かなり気合の入った建物です。

ここ何年か雲取山での遭難死亡事故が多く発生しているので、注意喚起が入念にされています。
「山の相談所」の開設も遭難事故防止を主目的とするものです。

こちらは支配人の「おーてまる」君。
365日常駐しておられるそうです。

タミコさん自作の指導標完成です。

私は手持無沙汰なので日本酒をいただきます。アルコール度数高めなので結構酔います。

富士山の夕景です。

さて明日は6時前には出発して雲取山をピストンします。天気は午前中は良さそうです。

天場は盛況で、登山道側の休憩場所にも張られてました。

私は19時には布団に入りました。

※ 携帯電話の電波状況について~携帯は通常はほとんど通じません。小屋でブースターの電源をオンにしてもらえると、小屋入り口付近を中心に使えるようになります。ただ、電気を喰うのでブースターは夕刻電源をオンにし、その後の状況によっては就寝時間前にはオフにしている模様です。