42年ぶりに八ヶ岳・阿弥陀岳&赤岳に登る②(R6.10.14)

二日目は、午前4時に全館の照明が点灯しました。
外に出るとまだ星が輝いています。
雲はないようで、風もなく比較的暖かな朝です。

こちらは茅野市方向になるでしょうか。

赤岳天望荘も灯が点いています。

ちよっと流れてしまっていますが多くの星が見えます。

5時15分の朝食開始前にスタッフによるトランペットの演奏が夜の静寂に響きました。
食事を待っている皆さん大喜びでした。

朝食はシンプルなメニューですが、十分です。

食後に改めて写真撮影に外に出てみます。
圧巻は何と言ってもこの雲海に浮かぶ「霊峰富士」です。

奥秩父の山波です。
右が金峰で左が甲武信です。
甲武信にはもうずいぶん行ってないので、来年の石楠花の時期にでも行きたいと思っています。

スマホでのズームには限界がありますが、御嶽山です。

後立山連峰です。

妙高連山でしょうか…。

だいぶ明るくなってきました。
拳骨の阿弥陀岳

阿弥陀の山頂から左側に続く尾根が南陵です。
高校の先輩がこの尾根を登ってずっと自慢にしていたのを思い出しました。

南峰頂上で御来光を待つ人々

硫黄岳から蓼科山までもクリアーに見えています。

再び富士山

得も言われぬ美しさです。

こちらは中央アルプスです。

日の出が近づいてきたようです。

出ました(^^)/。

満足です。そして富士山も一層素晴らしい。

再び阿弥陀岳
画面中央奥に見えている独立峰は御嶽山、その右手は乗鞍岳です。

乗鞍岳の右手には穂高から槍までの山々が…。

なかなかこんな雲海にはお目にかかれないのではないでしょうか…。

横岳の容姿も素晴らしい。

絶景と写真撮影を堪能して6時9分に小屋を後にしました。
やはり頭がうすら痛い…。
硫黄岳まではそこそこの時間を要するので、この時点で無理はせずに地藏尾根を行者小屋に下る決断をしました。
安全第一です。

既に小屋を後に下っていく同宿者と思われる登山者の姿があります。

赤岳の下りはザレザレで鎖も張ってありますが、大変歩きづらい印象です。
展望荘は素通りしました。

赤岳鉱泉をズームしてみます。

赤岳と富士山のコラボレーション

流石に最高峰は存在感があります。

地蔵の頭から横岳方面を見たところです。

阿弥陀岳にも朝日が当たり始めています。

赤岳は諏訪側は荒々しく佐久側は比較的穏やかになっています。

明るくなってきたのでスマホのズームでもそこそこの写真になりました。
槍穂連峰です。

眼下に見えている行者小屋目指して下っていきます。
高校二年の冬合宿で文三郎道経由で赤岳に登った際と、大学三年の夏に白駒池から赤岳まで縦走した際にそれぞれ下山に地蔵尾根を使っていますが、残念なことにほとんど記憶がありません。

無事に行者小屋まで下ってきました。
阿弥陀岳がデカい。
行者小屋周辺は八ヶ岳主稜線の西側に位置しているので陽が当たるのが遅く寒々としています。
昨日もそうでしたが、小屋前のテーブルや椅子は霜で真っ白でした。

横岳の西面が威圧感をもって取り囲むように聳えています。

大同心と小同心です。

こちらは赤岳です。

大同心と小同心をアップしてみます。

こちらは横岳でしょうか…。

赤岳山頂部をズーム

阿弥陀もズーム

行者小屋で小休止の後、南沢沿いの登山道を下り始めます。
漸く谷間に日が射してきましたね…。

苔の森です。

素晴らしい。

何度か橋を渡ります。
おっと指が入ってました(‘;’)。

北沢との合流点まで下りてきました。

高校の冬合宿での赤岳鉱泉から帰路、こちらでお茶と野沢菜のサービスを受けたのが忘れられません。

後は林道をひたすら歩きます。

秋色に目が留まります。

予定より早い時間に美濃戸口まで下りてきました。
時刻は9時40分です。

当初は八ヶ岳山荘で入浴して11時20分のバスで茅野駅に出るつもりだったのですが、ノーマークの10時20分というバスがあることに気が付き、迷わずそちらのバスに乗車しました。

11時20分のバスに接続するあずさの指定席を予約していたのですが、キャンセルして一本早いあずさに乗って帰路に就きました。

さて、こうして42年ぶりの阿弥陀岳、赤岳山行は成功裏?に終了です。
おそらく今回の山行の好印象を決定づけたのは、「赤岳頂上山荘」の存在です。
何にもまして標高2,899mの赤岳山頂という立地は他の追随を許しません(当たり前か…😚)。ホントに最高でした。
もちろん、あくまで天気に恵まれるという前提付きではありますが…。

今回は7月以来の本格的山歩きということもあり、やはり登りは体力的にきつかった。
春から結構体重も増加していて、その負荷も大きかったようです。
年末の忘年山行に向けて真剣にトレーニングする必要がありそうです。

※今回のヤマレコの記録

42年ぶりに八ヶ岳・阿弥陀岳&赤岳に登る①(R6.10.13)

今年の夏山は、7月初めに会津駒ケ岳の山開きに行って以来、いくつか計画を立てたのですが体調不良や天候不順でキャンセル続きでした。
もう夏も終わり10月も中旬になってしまいましたが、三連休を活用して八ヶ岳の阿弥陀岳と赤岳に登ってきましたので、その記録を掲載します。

三連休初日の夜に竹橋から毎日アルペン号に乗って美濃戸口に向かいます。
毎日新聞社のロビーには、南北アルプスをはじめとする各登山口行きのバスに乗るために多くの登山者が集まっていました。
八ヶ岳と奥秩父の金峰・甲武信方面は同じバスでの運行です。

耳栓とネックピローのお陰で比較的よく眠ることができました。
美濃戸口の八ヶ岳山荘前には午前4時ちょっと前に到着です。

24時間開放されているスペースでバナナを一本頬張って軽く腹ごしらえするとともに、トイレを済ませて4時半過ぎには出発しました。
当然ですが真っ暗です。
ヘッデンなしには歩けません。

写っているトレッキングポールは私のものです。
赤い方はもう10年ほど使っているモンベルのULトレッキングポールで、金色の方は今年購入したモンベルの同じタイプのものです。
超軽量であることに加えて、使わない時にはザックの中に容易く収納できるので気に入っています。

小一時間で北沢と南沢の分岐に到着です。

木で岩を支えているんでしょうか…(‘_’)。

赤岳神社・不動明王が祀られています。道中の無事を祈って手を合わせました。

この辺りの紅葉は終盤でしょうか…。

南沢沿いの登山道はいずれも40年以上前に二回歩いていますが、こんなに苔が群生していた記憶は全くありません(‘;’)。

大同心が見えてきました。

赤岳も…。

こちらは阿弥陀岳です。

行者小屋のテン場です。
天気は快晴です。
昭和57年8月11日にソロでこちらでテン泊し、翌日重いザックを背負って中岳のコルに登り、空身で阿弥陀をピストンしてから赤岳に登り、県界尾根経由で清里に下山しています。
なかなか寝付かれずに小屋でトリスのポケット瓶を買って水割りを楽しんでやっと眠りに就いた記憶があります。
テントはダンロップの二人用で今の二人用テントの二倍以上の重量があったと思われます。
ただ、吊り下げ式で当時としては画期的なテントでした(大学ワンゲルの医学部の先輩からただ同然で譲り受けました。この先輩は石川県珠洲市の出身で現在は七尾市に所在する病院の院長として、被災地復興のため奮闘されています。)。
なお、この時は美濃戸口から行者小屋までテン泊装備一式を背負って2時間40分で歩いています。
今回は小屋泊まりの身軽な装備で3時間9分かかっていますから、やはり体力は結構落ちているかと…。

赤岳の雄姿

横岳西面

行者小屋は42年前もこのスタイルだった気がするのですが、果たしてどうなんだろうか…?。

ベンチをお借りして細君が作ってくれたおにぎりで朝食にしました。
ポットを持ってくればよかった(‘_’)。
今回は極力軽量化を目指しているので、ポットは持参しなかったのです。
加えて言うといつもお供してもらっているPENTAX・K-70には留守番してもらったので、写真はすべてスマホで撮影しています。

行者小屋を後に中岳のコルを目指します。
小屋を出る時にヘルメットを着装します。
阿弥陀・赤岳に登る人の半分はヘルメットを被っている印象でした。

苔の群生

文三郎道分岐

ホントに苔が多い。

アップしてみました。

この辺りに水場があるらしいのですが、わかりませんでした。

中岳のコルに到着です。
昔の記録との比較はあまり意味をなさないので止めておきます。

権現岳
2013年8月19日に毎日アルペン号利用の夜行日帰りで編笠山とセットで登っています(その時の記録はこちら。)。

阿弥陀岳山頂到着
42年ぶり二回目になります。

険しい登山道から想像すると狭い山頂を予想しますが、意外に小広い山頂に到着するのでちょっとホッとしますね。
左は中岳を挟んで対面する赤岳、画面右端には富士山が写っています。

富士山を遠望する。

横岳から硫黄岳へと続く主稜線
佐久側から雲が湧き始めているのが気になりますね。

赤岳はスタイリッシュです。

赤岳山頂部をデジタルズームすると頂上山荘のある北峰と赤岳神社のある南峰が手に取るようです。

権現も雲に巻かれつつあります。

四等三角点です。

こちらは阿弥陀如来でしょうか…?

再度富士山
残念ですが、南アや北アはまったく見ることができませんでした。

中岳のコルまで戻ってから阿弥陀の登山道をズームしてみました。
急斜面に架かっている鉄製梯子と下ってくる登山者が見えます。

コルで小休止して行動食をいただきます。
甘いパンが美味しい。

夏場でも不安定な足場が続くので冬は相当悪いでしょうね…。

こちらは中岳山頂から見る赤岳の登山道です。

赤岳の登りの途中で振り返る中岳

同じく赤岳の登りで振り返る阿弥陀岳

文三郎道分岐を通過
下っていく登山者も全員ヘルメット装着です。

赤岳山頂方向を見上げると首が痛くなる。

阿弥陀岳もカッコいい。

山頂への核心部です。

縦走路に合流

赤岳山頂到着です。
42年ぶり四度目です。

赤岳神社の祠
この青いポールは42年前にもあったように思います。

あれよあれよという間にガスってしまいました。

今宵の宿「赤岳頂上山荘」です。

受付を済ませるとスタッフが寝場所を案内してくれました。
ジップロックとペットボトルが置いてあるのが私のスペースです。
今日は満室だそうです。

こちらは食堂です。
「夕食の準備が始まるまでは自由に使ってください」とのことでした。

赤岳展望荘へ下る登山道です。
まだまだ時間が早いので多くの登山者が行き来しています。

昼食は持参のパンで済ませました。
こちらはおやつです。
結構おいしかった。
少々頭痛がしたので、この後鎮痛剤を服用して少し横になりました。
軽い高山病かも知れません。

小屋の前から何枚か写真を撮ります。

赤岳展望荘は、私が学生の頃は「赤岳石室」だったような気がします。

県界尾根を道標が示しています。
懐かしい😭。

小屋前から南峰を見たところです。
少しガスが取れました。

適度のガスが良い雰囲気を醸し出しています。

こちらはベストショットです。

夕方からガスが晴れてきました。

夕食は17時からです。

こちらは受付カウンターです。

左奥に見えているのが私の寝床のある部屋です。

色紙コーナー

天空の食堂を覗くと夕食準備が間もなく完了する模様です。

いただきます。
豚の生姜焼きとクリームシチューが当山荘名物なんだそうです。
いずれも美味しくいただきました。
ご飯はお代わり自由です。

アーベントロートです。
以下北峰周辺から見る夕景です。

阿弥陀岳の背後に陽が沈んでいきました。

こちらは横岳から東天狗岳までの主稜線

寝床の準備をして…

「山頂コーヒー」をいただきました。(500円也)
美味しいコーヒーでした。

夜の帳が降りてきました。
街の明かりは佐久市でしょうか。

阿弥陀岳の向こうは茅野市でしょうか。

星も見え始めています。

明日も良い天気になって欲しいものです。
床にはいる前にもう一度鎮痛剤を服用しました。

明朝も頭痛がするようでしたら、横岳、硫黄岳縦走は見送って地藏尾根を行者小屋に向けて下山しようと思います。

忘年山行 八ヶ岳・硫黄岳(R5.12.29)②

昨日はトイレに一度起きたほかはよく眠れました。
湯たんぽと羽根布団と比較的温かな個室のお陰です。
シュラフにダウンパンツ、ダウンソックスまで準備してきたのですが、まったく必要ありませんでした。

さて朝食は6時スタートです。
大変美味しくいただきました。

こちらは小屋前から見た北アのモルゲンロートです。

身支度を整えて20ℓのアタックザックに最低限の装備品と食料、テルモスをパッキングして7時12分に小屋を後にします。
ゆっくりペースで歩き出します。
出発から50分でオーレン小屋に到着です。こちらは冬季閉鎖中ですね。
ここでジャケットを脱ぎました。

オーレン小屋には冬季小屋があります。

こちらのピークは「峰の松目」ですね。雪が少なそうです。

オーレン小屋を後にして、ひと頑張りすると夏沢峠到着です。
風の通り道のような気もするのですが、意外に穏やかです。

硫黄岳を仰ぎ見ます。爆裂火口が大迫力ですね。

ズームしてみました。
上の写真のお二人は峠直前に私に追いつき、私が耐風装備を着装している間に先発して行かれました。

森林限界を抜けると東西の天狗岳が姿を現してくれます。

穂高、槍、常念と続く北アの峰々。

御嶽山です。

空木岳でしょうか…。

デカいザックを背負った大学生と思しき4人パーティーとすれ違いました。
学生時代を思い出します。ただ、我々の頃はザックはキスリングで、ストックなんぞは使っている人間は皆無でした。

ケルンが近づいてきます。

山頂までもう一息ですね。

山頂到着です。

最後に登ったのは、1981年8月18日で前夜の幕営地のオーレン小屋を4時20分に出発し、硫黄のピークを5時35分に踏み、その後赤岳まで縦走して行者小屋経由で美濃戸口に下山しています。
同行者は大学の友人のO君でした。

冬期には二度登っていて、
一度目は1976年12月29日に4泊5日の高校山岳部の冬合宿の四日目に、前夜の幕営地の黒百合平を7時20分に出発し硫黄岳山頂を12時30分に踏んで赤岳鉱泉に下山して幕営、翌最終日に行者小屋経由で赤岳をピストンしてその日のうちに美濃戸口に下山しています。
この時の私は二年生の現役部員でした。

二度目は1979年12月30日に一度目と同じく4泊5日の高校山岳部の冬合宿の最終日に、前夜の幕営地の夏沢峠を7時40分に出発し硫黄岳山頂を8時40分に踏んで美濃戸口に下山しています。この時は現役の高校生を引率するOBとしての参加でした。

今回で通算四度目の登頂になります。実に42年ぶりです。
自身としてはそんなに時が経った気がしないのですが…。

1979年の暮れに登った硫黄のピークも今日と同様にピーカンでした。
ただ、北八ツも南八ツも真っ白けだった記憶があります。
今年はいかにも雪が少ない。
こちらは横岳、赤岳、阿弥陀岳のトリオです。
小粒ですが見栄えがする山容です。

硫黄岳山荘を見下ろします。
花のシーズンにゆっくり泊まってみたいものです。

阿弥陀岳の右肩には北岳が見えています。さらに甲斐駒、仙丈と続きます。

入笠山の向こうには中央アルプスの峰々が見えます。

こちらは存在感満点の御岳山です。

そして乗鞍岳です。

こちらは穂高から大キレットを挟んで槍までの眺望です。

常念から後立山へと続く峰々

再び横岳と赤岳

阿弥陀岳をアップ

赤岳をアップ
赤岳天望荘と赤岳頂上山荘が見えています。

道標に付いたエビのシッポ

山頂ケルンにはこんな案内図が設置されています。

双耳峰の鹿島槍ヶ岳が見えています。

蓼科山の頭にはちょっと雲が巻いています。その左手には白馬三山が見えています。

天狗の吊尾根にもほとんど雪がなさそうな感じです。

浅間山も真っ黒です。

蓼科山までの北八ヶ岳を一望します。

山頂ケルンに付いたエビのシッポ

それにしても良い天気です。ただ、風は強い。
ケルンの周囲はそんなに風を感じませんが、赤岩ノ頭方向にちょっと進んだだけで強い西風に吹かれます。

なかなか去り難いですね。
なお、私が山頂で写真撮影している間にピークにいたのは、山岳写真愛好家と思われる大型一眼レフを所持した男性2名でした。

もう一度見えている主要な山を振り返ります。
まずは木曽の御岳山

乗鞍岳

これは…?。

槍・穂連峰

常念から後立山方面

こちらはちょっとわかりません。どなたかご教示を…。

こちらも…。お願いします。

双耳峰の鹿島槍から五竜、唐松と続きます。

白馬三山ですね。

十分に展望を楽しんで夏沢峠まで下ります。
太陽燦燦になりました。
着込んでいたハードシェルを脱ぎ、厚手のウールグローブとオーバー手を薄手のウインドシェルグローブに換装しました。

オーレン小屋目指して下ります。
本来ならば真っ白な森のはずですよね(‘;’)。

オーレン小屋でレーションを頬張ってテルモスの白湯をすすって一息入れました。
今日は結局ずっとチェーンスパイクです。
ここまで30人ほどの登山者と行き交いましたが、12本爪のアイゼンを着装していたのは5人程度だったのではないでしょうか。

オーレン小屋を振り返ります。

夏沢鉱泉までもう一息です。

無事小屋に帰還しました。
今朝、私が出発する前に地元の遭対協と思われる二人の方が登山補導所を設営されていました。

時刻は11時を回ったところです。
茅野駅までの送迎車は桜平のゲートを14時半に出発するので、14時に小屋を後に徒歩でゲートに向かうとして、まだ二時間半以上の時間があります。

まずは小屋二階にデポ?していたメインザックと硫黄ピストンで使用したアタックザックの中身を整理します。
整理後、風呂をのぞくと生憎満員だったので、先に食事を取ることにしました。

ラーメンをオーダーしました。
食事かできるまでサイン色紙を眺めていました。
仲川希良さんのもの。

湊かなえさんと工藤夕貴さんコンビの山女日記の色紙

このデカい薪ストーブが小屋全体を暖めてくれています。

さあラーメンができました。
新鮮野菜たっぷり&ウインナーが特徴的なラーメンでした。
美味しくいただきました。

その後、鉱泉に浸かります。
先に入った皆さんがかなり水を入れたようで、昨日のように熱々を期待していた私としてはやや残念でした。

風呂から上がってからはドリップコーヒーを注文します。
これまた大変マイルドで美味しいコーヒーでした。

13時45分頃に小屋のスタッフから声掛けがあり、送迎車への荷物の積み込みを行います。
14時に小屋を後に徒歩にてゲートへ向かいます。
大変お世話になりました。

ゲートには20分余りで到着しました。

親切な案内板があります。

駐車場には車が一台だけ見えていました。

我々を追いかけるようにやってきた送迎車に乗り込み、茅野駅に到着したのは15時を少々回ったところでした。
桜平ゲートを出たのが14時20分過ぎでしたから所要40分程度だったでしょうか。
このサーピースは本当に有難い。
おかげて予定のあずさ42号で新宿まで帰ることが叶いました。
下の写真は車中から撮ったビラミタルな甲斐駒ヶ岳の雄姿です。

かくして今回の忘年山行は無事に幕を下ろしました。
今回も「小屋良し、山良し、天気良し」で最高の山行をすることができました。
何と言っても第一功労者は「夏沢鉱泉」さんの至れり尽くせりの「おもてなし」にあったと思います。
訪問者にリピート訪問を決意させるに十分なサービスが普通に行われていました。

来年の忘年山行は天狗岳を夏沢鉱泉泊りで計画してもいいかと…。

さて、これにて本年の山歩きも終了です。
今年は、夏山シーズン開幕とほぼ時を同じくして持病の坐骨神経痛が悪化してしまい、夏のメイン山行として計画していた「立山」行きもキャンセルの憂き目に会ってしまいました。
ただ、ソロ山行がメインの私は山で行動不能になるような要因を抱えつつ山行を強行するわけには当然行きません。
新年は、計画どおりの山行が余裕を持って楽しめるように体調管理と体力維持に努めていきたいと思います。

山好きな読者の皆様、一年間お付き合いいただきましてありがとうございました。
新年もよろしくお願いいたします。

※今回のヤマレコの記録

忘年山行 八ヶ岳・硫黄岳(R5.12.28)①

前書きが前回の記事(今年の忘年山行計画)と重複しますが、読者の皆さんには辛抱して読んでいただければと思います。

今年の忘年山行をどこにするか…秋口から結構悩みました。
目的地は当初、丹沢・檜洞丸(青ケ岳山荘泊)を考えていたのですが、ここのところずっと出番のないピッケル(アイゼンは今年は二度ほど使っています。)を使えるようなところに行きたいなと思い始め、今回のプランに至ったわけです。
そのプランとは…
初日に八ヶ岳中央部の夏沢鉱泉に泊まり、翌日硫黄岳をピストンするというものです。
目の悪い私は、長距離の自家用車単独運転のプランニングですと細君の御裁可が得られません。
自ずと公共交通機関利用になるわけですが、この場合最寄駅から登山口までのアプローチに課題が多い場合がほとんどです。
そんな中、夏沢鉱泉は宿泊者の無料送迎サービスをやっているのが決め手となりました。

初日は新宿を13時ちょうどに出る「あずさ25号」に乗って茅野に向かいます。ずいぶんゆっくりですが、何せこの日は夏沢鉱泉入りするだけの行程なので…。

茅野駅に到着すると駅前に夏沢鉱泉の送迎車が2台待っていました。
何でも名古屋から来るお客さんが、電車の遅れで茅野駅着が遅くなるようで「こちらの車が先発します。お客さんの貸し切りです。」とのスタッフの案内で私を乗せた先発車は、一路桜平のゲートまで向かいます。
ゲートに到着したのは16時ちょっと前でした。
ここで降車します。あとは小屋まで歩きです。ここで重要なのは荷物はそのまま送迎車が小屋まで運んでくれるという点です。
貴重品だけ持って空身で下の写真のようなダート林道を歩きます。
降車する際「小屋までは爪の類は必要ありません。」とスタッフ氏に言われたので滑り止めは何も登山靴に装着しませんでした。

こちらが小屋の車両基地?に停めてあった送迎車です。同じ型のハイエースが3台あるようです。

車を降りてから夏沢鉱泉まで20分少々で到着しました。
このルートは2009年の9月27日にMTBで茅野駅から夏沢峠越えした際に走っているので多少記憶に残っていました。
こちらが小屋の全景です。

中は薪ストーブがガンガン焚かれていて暑いくらいです。

こちらが今日の寝床です。
「横岳」という部屋でした。
メールで予約した際に「相部屋になることを了承願えませんか?」という連絡があったので「構いませんよ。」と回答していたので、てっきり相部屋だと思っていたところ「今日はこちらでお一人です。」とのこと。
嬉しい誤算でした。
部屋は大変奇麗。枕元には電源コンセントもあります。
そしてWi-Fiも飛んでいます。私のスマホはドコモですがアンテナが目いっぱい立っていたので感度良好かと…。

こちらの部屋は定員3人の模様です。

モンベルの超コンパクトなダウンシュラフを持参しましたが、結局夕食中に配られた湯たんぽのおかげもあって必要ありませんでした。
寝具は羽布団に毛布2枚掛けになっています。
夜間は廊下にオイルヒーターが2台置かれていて館内温度が適切に保たれていたようです。
到着後夕食までの間に鉱泉に入りましたが、熱々のお湯で大変温まりました。タイミングが良かったようで貸し切りでした。

夕食は18時スタートでした。私のテーブルはソロのお客さんだけでした。
メニューは御覧のとおりでとても豪華。中でも写真の豆乳鍋はしょうがの隠し味が効いていて非常に美味しかった。

ご飯はお代わり自由なので、私もお代わりしました。

食後にデザートとしてアイスクリームまで出ます(^^♪。

かくして満腹となり、食後は明日の天気予報とコースをチェックし20時には消灯しました。
ちなみに消灯時間は21時になっています。

北八ヶ岳・雨池&坪庭スノーシュー(R5.2.12)

二日目の朝となりました。
諏訪盆地側は晴れていますが、北八ヶ岳の山々はガスに覆われています。
それでもオーナー山本氏のガイドで予定どおり午前9時に「山の朝」を出発します。

ロープウエイ乗り場に行くと既に長蛇の列になっています。
山本ガイドの知り合いのスキー場スタッフが「今日は10分間隔です」と教えてくれました。
9時20分のロープウエイに無事乗車して山頂駅まで一気に上がります。
山頂駅前からちょっと進んだ平坦地でスノーシューを履いて出発準備完了です。

山本ガイドを先頭に出発…。
まずは「シラビソの森周遊コース」を回ります。
参考までにマップを貼り付けておきます。
赤線で囲ってあるのがシラビソの森周遊コースです。

コース名のとおりオオシラビソの森です。しばらくは五辻へ向かう登山道を進みます。
トレースは明瞭です。

霧氷です。空がグレーなのでわかりずらい。

五辻・麦草峠への登山道と別れてスノーシューコースへと入ります。

冬山らしい景色です。

坪庭方面も完全にガスに覆われています。
ロープウエイから雨池峠へ向かう登山道に合流します。

ガスの中から縞枯山荘が現れました。

三角屋根のどこかメルヘンチックな小屋です。チャンスがあれば泊まってみたい。

雨池峠を佐久側へと下ります。
山本ガイドのお話では雨池峠は分水嶺になっていて、この周辺に降った雨は、諏訪側は太平洋に佐久側は日本海へと流れ込むんだそうです。

佐久側に下ると時折荒船山や浅間山が姿を見せてくれたのですが、写真に捉えることができませんでした。
すれ違う登山者は12本爪アイゼン、スノーシュー、ワカン、つぼ足と様々です。
山本さんのアドバイスでは北八ヶ岳でスノーシューを楽しむ場合、パウダースノーの1月、2月はワカンよりも大きめのスノーシューが適しているということでした。
昨日のダケカンバコースの新雪は真にそんな感じでした。

林道に降り立ちました。
同宿のご夫婦ハイカーが新道経由で下りてこられたのですが、山本氏曰く「冬は旧道を使ってもらいたい」そうです。
ただ、ご夫婦曰く「入口にあった地図に旧道は破線で書かれていたのでいわゆる難路なのかと思った」とのこと。これには山本さんも「ごもっとも」と…。
そこで持ち合わていたネームペンで旧道の下に「(冬道)」と書き入れました。この作業は私がやらせてもらいました。

帰りに雨池峠側の入口の地図も補正しないといけませんね…。
さて、雨池に到着です。
八ヶ岳には何度も通っていますが、雨池の訪問は今回が初めてです。
一面の雪原となっています。思っていたよりデカい。

下の写真にも登山者が写っているのがわかるでしょうか…。

スノーシューやクロカンスキーで歩き回るには最高の場所ですね。
上の写真の豆粒のような登山者をズームするとこんな感じです。

さてランチタイムです。
「山の朝」で朝食時にテルモスに入れてもらったお湯をひと煮立ちさせて、カレーメシを作りました。

食後に空身で池の中心付近まで行ってみました。
山本ガイド撮影。

八ヶ岳ブルー現る(^^♪。

さて帰路につきましょう。

林道まで登ると雨池への下降点には立派な道標が立っています。

さて林道への下降点まで登ってきました。こちらの地図にも「(冬道)」を書き入れないと…。

細君がやらせてもらいました(^^♪。

雨池峠まで戻ってきました。
ここは風の通り道。
西風に向かって進む感じになります。

縞枯山荘まで戻ってくると多くの登山者で賑わっています。

ロープウエイ山頂駅まで直進せずに坪庭を回って帰ります。
正面に見えているのは三ッ岳です

雲が美しい。

こちらは北横岳です。北横岳は活火山で、坪庭は800年前の噴火の溶岩流で形成されたとのことです。

さあ、後はロープウエイ山頂駅まで下るだけです。

ここは風が強いので、こんな自然の造形が。

14時10分のロープウエイに乗って無事に下山しました。
宿に戻ってオーバージャケット&パンツを脱ぎ、スパッツを外して帰る準備です。

山本オーナー夫妻にご挨拶して「ペンション山の朝」を後にしました。
信州割スペシャルのクーポン2,000円分を使うためロープウエイ山麓駅の売店に立ち寄ってお土産を買い求め、その後佐久市の布施温泉で汗を流して早めの夕食を済ませて帰路につきました。
上信越道は藤岡JCT手前までは順調でしたが、その後は関越道と圏央道の渋滞の影響を受け、家に到着したのは21時半でした(‘;’)。

今回は、スノーシュー三昧の二日間で、昨日も今日も昨年4月の栂池自然園以来のスノーシューを存分に楽しむことができました。
また、「ペンション山の朝」は昨日の記事でも書いたように非常にアットホームな居心地の良い宿でした。
何よりもオーナー夫妻の人柄が最高で是非再訪したい宿の一つに仲間入りです。

※ヤマレコの記録

北八ヶ岳・縞枯山山麓スノーシュー(R5.2.11)

先週末の土日を利用して北八ヶ岳ロープウエイ山麓駅近くに宿を取り、一泊二日で今シーズン初めてのスノーシューを楽しんできました。
両日とも天気予報は晴れでしたので、出発前にモチベーションはかなり高くなっていました。

初日は7時15分に自宅を出発、圏央道から上信越道経由で佐久を目指します。
ところが、途中ナビどおりに進むと激しい渋滞(スキー客か…)のため、2回高速から一般道へ降りることになり、結構な時間を費やしました。
おかげで現地の宿に着いたのは13時半と当初予定より大幅に遅れてしまいました。

宿のオーナーに挨拶をすると事前に初日の計画を伝えていたので、懇切丁寧にコースガイダンスをしてくれます。
ピラタスリゾートスキー場のクワッドリフトに乗車して終点で下車、その後オーナー自ら赤旗を立ててコース管理をしている縞枯山山麓の「ダケカンバコース」を歩いてロープウエイ山麓駅に下山して宿に戻るという計画です。
簡易マップを掲載しておきます。黄色の線でマークしてあるのが今日のコースです。

身支度をして2時前にはクワッドリフトに乗車します。ちなみに宿からリフト乗り場までは徒歩数分の距離です。
リフト終点で下りるとスタッフがスノーシューコースの入口を丁寧に教えてくれました。
下の写真がその入口に立つ案内標識です。
北横岳がすっきりと姿を見せてくれています。

写っている赤旗は宿のオーナーがスノーシューシーズンの最初に設置してくれているものです。

「昨日相当の新雪が積もっているのでトレースがないかもしれない。」と言っていたオーナーの言葉どおりノートレースです。

「トップで歩くのは疲れるよ!」と細君にアドバイスしたのですが、新雪のモフモフ感が心地良いのか果敢に進んでいきます。

このコースは眺望も最高です。こちらは御岳山の雄姿です。

ダケカンバと青空のコントラストが素晴らしい。

東西の天狗岳をアップしてみました。

こちらは南八ヶ岳の盟主赤岳と阿弥陀岳です。

左から南アルプスの北岳、甲斐駒ヶ岳そして仙丈ケ岳です。

こちらは中央アルプスです。

ノートレースなので赤旗の目印の誘導どおりに歩きます。

我々が残したトレースを振り返ります。

「ダケカンバコース」という名称どおりにダケカンバが美しい。

諏訪盆地を見下ろして下っていきます。
爽快です。
風も穏やかで気温も高く春山のようです。

振り返ると蓼科山が立派な山容を見せています。

こちらは北横岳です。

雲海の向こうには乗鞍岳が…。

お手軽コースなのに抜群の眺望です。

細君も十分に楽しめたようです。

その後はロープウエイ山麓駅に下山し、スノーシューを脱いで宿へと戻りました。
所要時間は1時間25分でした。
極めてお手軽なコースでしたが、美しいダケカンバと新雪と抜群の眺望を堪能できて、渋滞による長時間運転の疲れをすっかり忘れさせてもらえた気がします。

申し遅れましたが、今日の宿は「ペンション山の朝」です。
オーナーは山本氏で奥様とお二人で運営されている極めてアットホームなペンションです。

昨シーズンもこちらにお邪魔してスノーシューを楽しむ計画を立てたのですが、コロナにより実現できませんでした。
今回はそのリベンジというわけです。
明日はオーナーに雨池スノーシューのガイドをお願いしています。
今日と同様に好天を期待したいところです。

※ヤマレコの記録