昨日はトイレに一度起きたほかはよく眠れました。
湯たんぽと羽根布団と比較的温かな個室のお陰です。
シュラフにダウンパンツ、ダウンソックスまで準備してきたのですが、まったく必要ありませんでした。
さて朝食は6時スタートです。
大変美味しくいただきました。
こちらは小屋前から見た北アのモルゲンロートです。
身支度を整えて20ℓのアタックザックに最低限の装備品と食料、テルモスをパッキングして7時12分に小屋を後にします。
ゆっくりペースで歩き出します。
出発から50分でオーレン小屋に到着です。こちらは冬季閉鎖中ですね。
ここでジャケットを脱ぎました。
オーレン小屋には冬季小屋があります。
こちらのピークは「峰の松目」ですね。雪が少なそうです。
オーレン小屋を後にして、ひと頑張りすると夏沢峠到着です。
風の通り道のような気もするのですが、意外に穏やかです。
硫黄岳を仰ぎ見ます。爆裂火口が大迫力ですね。
ズームしてみました。
上の写真のお二人は峠直前に私に追いつき、私が耐風装備を着装している間に先発して行かれました。
森林限界を抜けると東西の天狗岳が姿を現してくれます。
穂高、槍、常念と続く北アの峰々。
御嶽山です。
空木岳でしょうか…。
デカいザックを背負った大学生と思しき4人パーティーとすれ違いました。
学生時代を思い出します。ただ、我々の頃はザックはキスリングで、ストックなんぞは使っている人間は皆無でした。
ケルンが近づいてきます。
山頂までもう一息ですね。
山頂到着です。
最後に登ったのは、1981年8月18日で前夜の幕営地のオーレン小屋を4時20分に出発し、硫黄のピークを5時35分に踏み、その後赤岳まで縦走して行者小屋経由で美濃戸口に下山しています。
同行者は大学の友人のO君でした。
冬期には二度登っていて、
一度目は1976年12月29日に4泊5日の高校山岳部の冬合宿の四日目に、前夜の幕営地の黒百合平を7時20分に出発し硫黄岳山頂を12時30分に踏んで赤岳鉱泉に下山して幕営、翌最終日に行者小屋経由で赤岳をピストンしてその日のうちに美濃戸口に下山しています。
この時の私は二年生の現役部員でした。
二度目は1979年12月30日に一度目と同じく4泊5日の高校山岳部の冬合宿の最終日に、前夜の幕営地の夏沢峠を7時40分に出発し硫黄岳山頂を8時40分に踏んで美濃戸口に下山しています。この時は現役の高校生を引率するOBとしての参加でした。
今回で通算四度目の登頂になります。実に42年ぶりです。
自身としてはそんなに時が経った気がしないのですが…。
1979年の暮れに登った硫黄のピークも今日と同様にピーカンでした。
ただ、北八ツも南八ツも真っ白けだった記憶があります。
今年はいかにも雪が少ない。
こちらは横岳、赤岳、阿弥陀岳のトリオです。
小粒ですが見栄えがする山容です。
硫黄岳山荘を見下ろします。
花のシーズンにゆっくり泊まってみたいものです。
阿弥陀岳の右肩には北岳が見えています。さらに甲斐駒、仙丈と続きます。
入笠山の向こうには中央アルプスの峰々が見えます。
こちらは存在感満点の御岳山です。
そして乗鞍岳です。
こちらは穂高から大キレットを挟んで槍までの眺望です。
常念から後立山へと続く峰々
再び横岳と赤岳
阿弥陀岳をアップ
赤岳をアップ
赤岳天望荘と赤岳頂上山荘が見えています。
道標に付いたエビのシッポ
山頂ケルンにはこんな案内図が設置されています。
双耳峰の鹿島槍ヶ岳が見えています。
蓼科山の頭にはちょっと雲が巻いています。その左手には白馬三山が見えています。
天狗の吊尾根にもほとんど雪がなさそうな感じです。
浅間山も真っ黒です。
蓼科山までの北八ヶ岳を一望します。
山頂ケルンに付いたエビのシッポ
それにしても良い天気です。ただ、風は強い。
ケルンの周囲はそんなに風を感じませんが、赤岩ノ頭方向にちょっと進んだだけで強い西風に吹かれます。
なかなか去り難いですね。
なお、私が山頂で写真撮影している間にピークにいたのは、山岳写真愛好家と思われる大型一眼レフを所持した男性2名でした。
もう一度見えている主要な山を振り返ります。
まずは木曽の御岳山
乗鞍岳
これは…?。
槍・穂連峰
常念から後立山方面
こちらはちょっとわかりません。どなたかご教示を…。
こちらも…。お願いします。
双耳峰の鹿島槍から五竜、唐松と続きます。
白馬三山ですね。
十分に展望を楽しんで夏沢峠まで下ります。
太陽燦燦になりました。
着込んでいたハードシェルを脱ぎ、厚手のウールグローブとオーバー手を薄手のウインドシェルグローブに換装しました。
オーレン小屋目指して下ります。
本来ならば真っ白な森のはずですよね(‘;’)。
オーレン小屋でレーションを頬張ってテルモスの白湯をすすって一息入れました。
今日は結局ずっとチェーンスパイクです。
ここまで30人ほどの登山者と行き交いましたが、12本爪のアイゼンを着装していたのは5人程度だったのではないでしょうか。
オーレン小屋を振り返ります。
夏沢鉱泉までもう一息です。
無事小屋に帰還しました。
今朝、私が出発する前に地元の遭対協と思われる二人の方が登山補導所を設営されていました。
時刻は11時を回ったところです。
茅野駅までの送迎車は桜平のゲートを14時半に出発するので、14時に小屋を後に徒歩でゲートに向かうとして、まだ二時間半以上の時間があります。
まずは小屋二階にデポ?していたメインザックと硫黄ピストンで使用したアタックザックの中身を整理します。
整理後、風呂をのぞくと生憎満員だったので、先に食事を取ることにしました。
ラーメンをオーダーしました。
食事かできるまでサイン色紙を眺めていました。
仲川希良さんのもの。
湊かなえさんと工藤夕貴さんコンビの山女日記の色紙
このデカい薪ストーブが小屋全体を暖めてくれています。
さあラーメンができました。
新鮮野菜たっぷり&ウインナーが特徴的なラーメンでした。
美味しくいただきました。
その後、鉱泉に浸かります。
先に入った皆さんがかなり水を入れたようで、昨日のように熱々を期待していた私としてはやや残念でした。
風呂から上がってからはドリップコーヒーを注文します。
これまた大変マイルドで美味しいコーヒーでした。
13時45分頃に小屋のスタッフから声掛けがあり、送迎車への荷物の積み込みを行います。
14時に小屋を後に徒歩にてゲートへ向かいます。
大変お世話になりました。
ゲートには20分余りで到着しました。
親切な案内板があります。
駐車場には車が一台だけ見えていました。
我々を追いかけるようにやってきた送迎車に乗り込み、茅野駅に到着したのは15時を少々回ったところでした。
桜平ゲートを出たのが14時20分過ぎでしたから所要40分程度だったでしょうか。
このサーピースは本当に有難い。
おかげて予定のあずさ42号で新宿まで帰ることが叶いました。
下の写真は車中から撮ったビラミタルな甲斐駒ヶ岳の雄姿です。
かくして今回の忘年山行は無事に幕を下ろしました。
今回も「小屋良し、山良し、天気良し」で最高の山行をすることができました。
何と言っても第一功労者は「夏沢鉱泉」さんの至れり尽くせりの「おもてなし」にあったと思います。
訪問者にリピート訪問を決意させるに十分なサービスが普通に行われていました。
来年の忘年山行は天狗岳を夏沢鉱泉泊りで計画してもいいかと…。
さて、これにて本年の山歩きも終了です。
今年は、夏山シーズン開幕とほぼ時を同じくして持病の坐骨神経痛が悪化してしまい、夏のメイン山行として計画していた「立山」行きもキャンセルの憂き目に会ってしまいました。
ただ、ソロ山行がメインの私は山で行動不能になるような要因を抱えつつ山行を強行するわけには当然行きません。
新年は、計画どおりの山行が余裕を持って楽しめるように体調管理と体力維持に努めていきたいと思います。
山好きな読者の皆様、一年間お付き合いいただきましてありがとうございました。
新年もよろしくお願いいたします。
※今回のヤマレコの記録